直線上に配置
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草津宿場祭り
急がばまわれ
(琵琶湖の周辺(3a),(24))
平成16年4月29日撮影) 
 今年の第36回草津宿場祭りには,新撰組が登場していました。この行事は,市制50周年記念事業の一環として行われ,東映太秦映画村のプロ,子供会の子供達,公募の一般市民ら150人で繰り広げられました。また,短時間の時代劇(チャンバラシーン)も有りました。見物客は,7万5千人だったそうです。

↓(写真をクリックすると,拡大して見ることができます。)           
* *
 “なぜ新撰組か”については,慶応元年の草津宿本陣の大福帳に,新撰組の土方,斉藤,伊藤,藤堂さんを含めた32名の記録が残されています。  太田酒造(株)さん(「太田道灌」の子孫である太田家)が,ここ資料館内と行列の通りに面して,お酒(樽酒)と甘酒をふるまっており,賞味させて頂きました。すごくおいしかったです(^^)!!

画像はだいぶ省略しました。

ここは,今は商店街ですが,江戸時代は中山道だったところです。

急がば回れ!!  
 江戸時代,草津宿から瀬田の唐橋,大津宿を経て京都へ行く本来のルート(実線)の他に,一旦,矢橋(やばせ)に出てから琵琶湖を船で渡るルート(点線)も有りましたが,このルートは,琵琶湖が荒れた時などには危険も伴いました。

 このことは,平安〜室町時代の和歌:

 
武士(もののふ)の 
   やばせ(矢橋)の舟は早くとも
     急がば回れ
       瀬田の長橋

にも詠まれており,それから生まれた教訓が,
「急がばまわれ」ということわざです。

 この点線のルートに相当する位置の近くには,現在,「近江大橋」(2014年無料化されました)が架かっています。

 
赤色のコース:東海道
 <
青色のコース:中山道
 <水色のコース:朝鮮人街道
 <
緑色のコース:北国海道(西近江路)
 <桃色のコース:若狭街道(鯖街道)

平成13年4月29日撮影) 
 
今年のゴールデンウイークは,大型9連休となりました。ただし,時間は有っても金は無し。おまけに道路は混雑。 というわけで,遠出をせず近場で過ごしました。そんな中の写真です。 

(写真をクリックすると,拡大して見ることができます。)
  4月28〜29日は,草津市の宿場祭り(400年祭)でした。これは昔,草津が東海道と中山道の合流点として栄えたことを偲ぶ祭りです。

  祭りのハイライトは,総勢200名からなる大名行列で,まるで当時にタイムスリップした?ような気分にさせてくれる,本格的なものでした。

  特に今回は,文久元年10月22日,史上初めて皇室から将軍家(=14代将軍,徳川家茂)に嫁いだ16歳の
皇女和宮かずのみや」が,ここ草津に休まれ,旅立たれたことにちなんでの大行列でした。
 姉妹都市,香川県観音寺市からの応援は,総勢100名による重量3トンの太鼓台の運行でした。
<注>1.
皇女「和宮」は,文久元年10月20日に京都を出立,中山道を経由して,11月15日に江戸城に到着。宿泊は40日におよび,宿場周辺では,その都度3万から5万人もの人々が動員され,文字通り前代未聞の行列だったようです。

<注>2
.歴史背景
@1856年,日米和親条約により来日したハリスは,通商条約の調印を幕府に強くせまり,大老井伊直弼は孝明天皇の許可無しに「日米修好通商条約」に調印した。

Aこのことは,孝明天皇の怒りを招き,朝廷と幕府が衝突することになり,井伊直弼は朝廷や反対派の公家,大名,家臣達を処罰した(
安政の大獄)。しかし井伊直弼は,反対派に暗殺され(桜田門外の変),それを契機に,幕府の独裁が崩れ始めた。

B幕府の老中安藤信正は,朝廷との融和をはかり,反幕府勢力を抑えるために,朝廷(公)と幕府(武)を合体し政局を安定させようと考え,
公武合体運動を進め,孝明天皇の妹である皇女和宮将軍家茂を政略結婚させた。

C老中安藤信正は,尊皇攘夷論者から非難され,文久2年(1862年),坂下門外で水戸脱藩士らに襲われ,失脚するに至った(
坂下門外の変)。



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