直線上に配置

ゲンジボタル
 姉川古戦場跡

米原市
(旧山東町)
ホタル祭りに行ってきました。

夜7時頃,JR近江長岡駅前からシャトルバスで15〜20分ほどの,姉川に注ぐ小さい川(用水路?)のほとりに案内され,待つこと約1時間。あたりが暗くなるにつれて,1匹,また1匹と川の上に飛翔するのが観察できました。数は多かったです。
 
琵琶湖の周辺(43)
(平成19年6月17日,30日撮影)


米原市(旧山東町)では,この平成19年6月,蛍保護条例が可決されました。

この地域では
ゲンジボタル,ヘイケボタル,ヒメボタル,クロマドボタルが生息しています。

そこで,市内の全域を蛍保護区に,
天の川などを特別保護区にすると共に,蛍や餌のカワニナの捕獲を禁止し,また蛍の成長期には草刈りや除草剤の散布を禁止し,罰則規定を設けるなど保護に力を入れています。
       <<ゲンジボタルの発生する川(姉川の支流)と飛翔の様子>>


ホタル⇒
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水面
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水面
蛍が飛んでいます
蛍が飛んでいます
(できれば部屋を少し暗くしてみてください) (^^)


姉川古戦場跡について : 
 蛍の観察位置の近くに姉川古戦場跡があります。

 姉川の戦いとは,元亀元年(1,570年)6月28日に,姉川を挟んで行われた浅井(あざい)朝倉織田・徳川との戦いのことです。

 これより先,織田信長は,実妹(お市)を浅井長政に嫁がせ,同盟を結んでおり,越前の朝倉義景を攻めようとしましたが,浅井長政が反旗を翻したのです。

 浅井・朝倉軍は18,000人,織田・徳川軍は28,000人でした。当初は浅井・朝倉軍が優勢であったものの,徳川軍の頑張りによって形勢は逆転し,結果的に浅井・朝倉軍は後退し,小谷城に籠城することとなりました。

この戦いでは,当時浅井長政26歳,織田信長39歳でしたが浅井長政は3年後滅亡し,
織田信長にとっては天下統一のきっかけとなりました。

 戦いは午前5時頃始まり,午後2時頃には終わったとされていますが,この戦いでの戦死者は,浅井・朝倉軍は1,700余人,織田・徳川軍は800余人,負傷者はその3倍にもおよび,姉川が血で染まったと伝えられています。

  



 
 
 









<北軍>
1,8000人
浅井長政軍
8,000人
朝倉景健軍
10,000人



姉川
 対峙
<南軍>
28,000人
織田信長軍
23,000人
徳川家康軍
5,000人


   伊吹山方面
戦死者の碑が橋のたもとに
建てられています。
現在の姉川,静かに流れていますが,当時は,このあたりが戦場になり血で染まったとか。
手前は琵琶湖側,後方は伊吹山方面。

湖東〜湖北地方には,この姉川古戦場をはじめ,賤ヶ岳の戦い関ヶ原の戦いなど戦国時代の古戦場が多くあります。近江の国は戦国時代に1,000もの城が造られ,戦いの場となりました。
ホタルは戦死者の魂?が飛び交っているようにも見えます。

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