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大津祭り
琵琶湖の周辺(29)
(平成17年10月9日撮影) <音声有り>

はじめに 
 湖国三大祭りの一つに数えられている大津祭りを見てきました。

 この大津祭りは
天孫神社の祭りであり,江戸時代初め(400年以上前),鍛冶屋町塩売治兵衛が狸面で踊ったことから始まったとされています。また,現在のような3輪の曳山(ひきやま,=山車)が作られたのは,寛永15年(1638年)以降とされています。
 
 大津祭りの特色の一つは,それぞれの曳山に載せられた「
からくり人形」です。からくりの題材は中国の故事や能・狂言からとったものとされ,巡行中に所定の場所(=所望(しょもう)で沿道の見物人に披露されます。

 平成17年は10月8日が宵宮(よいみや),9日が本祭りでした。宵宮では13基の曳山が町内各地に配置・披露され,9日の本祭りでは,町内を約6kmにわたり巡行しました。
 

曳山巡行状況 :
丸屋町商店街での巡行状況。曳山は「猩々山(しょうじょうやま)」です。巡行中に,曳山から沿道の見物人に向けて多数の(ちまき)がまかれます。(下記写真参照)

9日(本祭り)正午に,13基の曳山がJR大津駅前中央通り下に集合します。
曳山に乗り,笛や太鼓を演じる「
囃子方」の衣装は,午前中=紋付き,午後=着流しとなります。

曳山のいろいろ  大津祭りでは,山車が曳山(ひきやま)と称されています。旧市街の町内会ごとにゴブラン織りや装飾金具にかざられた13基の曳山が有り,それぞれ名前があります。
曳山には,中国や日本の故事にちなんだ「
からくり人形」が置かれ,鉦(しょう),太鼓,笛の伴奏が演じられています。いわば京都祇園祭の山車+囃子+からくり人形という感じです。
以下は,その一部です。


 
曳山は,狭い通路でも自由に回れるように,3輪になっています。また,その大きさは直径1.8m,高さ6.5m,横幅3.5m,長さ5.2mです。
 
(1) (2) (3) (4)
西宮蛭子山
(にしのみやえびすやま)
孔明祈水山
(こうめいきすいざん)
郭巨山
(かっきょやま)
殺生石山
(せっしょうせきざん)
万治元年(1658年) 元禄7年(1694年) 元禄6年(1693年) 延宝元年(1673年)
 西宮(兵庫県)の蛭子にちなんだもの。商売繁盛を祈願し,からくり人形は,鯛を釣り上げるところを示しています。 蜀の諸葛孔明が魏の曹操と戦ったとき流れる水に祈り,大勝したとの故事によります。 中国の郭巨は貧しく,子供が産まれたとき土中に埋めようと穴を掘った。その時黄金の釜が出てきたという故事にちなんだもの。からくり人形は,子供を抱いています。
鳥羽院に寵愛された玉藻前は,正体が狐であったが,見破られた結果,那須の殺生石となって旅人を邪魔していた。これを元翁和尚が成仏させたという能楽の物語にちなんでいます。


(5) (6) (7) (8)
神功皇后山
(じんぐうこうごうやま)
石橋山
(しゃっきょうざん)
源氏山
(げんじやま)
西王母山
(せいおうぼざん)
寛延2年(1749年) 宝永2年(1705年) 享保3年(1718年) 明暦3年(1658年)
神功皇后が,戦の前に鮎を釣り,戦勝を占ったとされる伝説にちなんだもの。神功皇后が応神天皇を無事出産されたことから,安産の山として信仰されているそうです。
謡曲の石橋の物語で,文殊菩薩の浄土と伝えられている険しい石の橋を渡ろうとしたとき,獅子が現れて牡丹の花に舞い戯れるのを見たといいます。 紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた故事にちなんだもの。からくりとしては,石山を模した岩の中から,潮汲み馬,御所車,かさ持ち,草履持ちなどが現れます。 中国昆崙山に住む西王母が天女とともに舞い降りて王に桃の実を捧げ長寿を祝った。この実は三千年に一度花が咲き,一個しか実のらない貴いものであったそうな。。。


からくり人形 : からくり人形は大津祭りの特色です。巡行中に,所定の場所(=所望(しょもう)で立ち止まり,からくりが沿道の見物人に披露されます。終了すると見物人も一斉に拍手し,曳山の周囲は一体感に包まれます。
猩々山(しょうじょうやま)のからくり人形です。

能楽の「
猩々」が由来とされています。昔,唐の揚子の里に高風という親孝行な酒売りがいました。高風が酒を売っていると,いくら飲んでも顔色の変わらない客がいる。
これが海中に住む“猩々”で,月の美しい夜,海風が,汲めども尽きぬ酒壷をもらったという話です。。。

“猩々”:中国の伝説上の動物。赤い顔をして酒を好む。
湯立山(ゆたてやま)のからくり人形です。

天孫神社の湯立ての神事はこの山から捧げるといい,曳山の形は天孫神社をかたどり,周りはその回廊を真似たものとされます。
人形は3体からなり,右前は神官の禰宜(ねぎ),左前は鉦(しょう)を持った巫女,奥に市巫女の市殿と大釜。役割は禰宜がお祓い,奥の巫女(市殿)が笹で湯を立て,左前巫女が神楽を奏しています。


本祭りの様子(街角スナップ)

(1) 天孫神社の様子
その1 その2 境内 その3 その4

(2)
旧市街地に残る町家(まちや,古民家)

当時(江戸時代)大津町の町方衆は経済的に恵まれており,例えば16世紀にベルギーのブルッセルで織られたゴブラン織りを金100両を投じて購入したとあります。また,いくつか解放展示されている品々からもその様子がうかがえます。

由緒有る民家が並んでいます。
玄関を入るとそこには,落ち着いたたたずまいが。。
立派なよろいが2体展示されていました 江戸時代からのものと思われる立派な織物と衝立。

(3)
その他
曳山の上から投げられる粽(ちまき)は,所々で売っています。
1本300〜500円。厄よけで,食べられません。
大きな3輪。 子供たちも大活躍です。


<参考文献>
1. 「平成17年度 大津祭りパンフレット」
(社)びわ湖大津観光協会,NPO大津祭曳山連盟 発行

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